HIKE / LIFE / COMMUNITY
TOUR 2017 REMINISCENCE
#03 中川伸也(山岳ガイド / Natures主宰)

INTRODUCTION

2017年の6月から10月にかけて、山と道は現代美術のフィールドを中心に幅広い活動を行う豊嶋秀樹と共に、トークイベントとポップアップショップを組み合わせて日本中を駆け巡るツアー『HIKE / LIFE / COMMUNITY』を行いました。

北は北海道から南は鹿児島まで、毎回その土地に所縁のあるゲストスピーカーをお迎えしてお話しを伺い、地元のハイカーやお客様と交流した『HIKE / LIFE / COMMUNITY』とは、いったい何だったのか? この『HIKE / LIFE / COMMUNITY TOUR 2017 REMINISCENCE(=回想録)』で、各会場のゲストスピーカーの方々に豊嶋秀樹が収録していたインタビューを通じて振り返っていきます。

第3回目は、北海道・東川のSALTでの『HIKE / LIFE / COMMUNITY』のゲストスピーカーを勤めていただいた中川伸也さん。「国立公園のある町」北海道東川での、スノーボーダーや山岳ガイドとしての「ライフ」に迫ります。

全部一緒で、全部楽しい

朝から小雨が降ったりやんだりしていた。蝦夷梅雨と呼ばれる前線をともなった低気圧の影響だ。 2017年の蝦夷梅雨は例年よりも長く居座っているようで、スッキリしない天気がしばらく続きそうだった。とはいえ、本州の梅雨ほどジメジメすることはないので、それほど悪くもない。

僕は、帯広を出発して東川へ向かっていた。距離にして 170kmで、大雪山系の山並みを南から北へ時計回りに迂回していくことになる。狩勝峠を越えると富良野方面へとつづら折りの下り坂が続いた。道路標識の行き先に「麓郷」の地名が見えると、景色は『北の国から』の世界になり、僕はひとりで嬉しくなった。青々とした野菜畑の畝がゆったりとした丘陵地帯に幾何学的な縞模様を描き、頭の中では、さだまさしの歌声が流れ始める。今日はのんびり走って行こう。

いま向かっている東川では、大雪山系をメインのフィールドとする山岳ガイドの中川伸也さんの話を聞かせてもらうことになっていた。もし、あなたがスノーボーダーであれば、中川さんの名前に ピンときたかもしれない。中川さんは、20歳の頃、ハーフパイプの競技シーンで頭角を現し、それ以来、競技やストリート、バックカントリーでのフリーライディングなど様々なスタイルでスノ ーボーダーとして活動してきた人だ。スキーやスノーボードの雑誌や映像作品にも多数登場していて、「CAR DANCHI」シリーズなどの映像作品から中川さんのことを知った人も多いだろう。

「スノーボードは、僕の中では全部一緒ですね。スキー場で滑ってても、山を滑ってても、競技してても、ストリートでレールこすってても。全部一緒で、全部楽しいですね。」

中川さんの親友である米山さんが営むアウトドアショップ SALTの、裏庭というには広すぎる庭で僕は中川さんの話を聞かせてもらっていた。雨はもう上がり、時折、庭の緑に滴る水滴に陽がキラキラと反射していた。

中川さんは、現在、東川でガイドカンパニー「natures」を立ち上げ、旭岳を中心に四季を通じてガイドを行い生活している。中学生のときにスノーボードに出会い、ずっとスノーボードと関わって生きてきた。どんな関わり方であっても、スノーボードであることには変わらないと中川さんは話してくれたが、これまでの経緯を僕は聞いてみたかった。

  • トムラウシ山頂より朝焼けの十勝岳連峰(写真提供:中川伸也)

遊ぶこと、自由でいること

「競技を続けていくことに限界は感じましたね。技術的なこともだし、お金を稼ぐことも含めて。 成績を残すためにはもちろんトレーニングもしなきゃいけない。それは、自分が楽しいと思っている遊びの方向じゃなくなっていく。そういうことを、ずっと競技してる最中から思ってて。だから 午前中フリーライドしに行って、午後からハーフパイプ入るとかしてましたね。」

サッカーや野球のように、試合や勝敗というものがあるところから始まっているスポーツとは違い、 アウトドアでの活動の一つの形として競技というものがあるスポーツでは競技に対する考え方や関わり方は大きく異なるのかもしれない。それは、インドアで行われるコンペより外の岩場を中心にしているクライマーや、波を求めて世界を旅して回っているサーファーなどにも共通する、「遊ぶこと」と「自由でいること」を追求する姿勢によるものなのだろうかと僕は想像した。

「ずっとハーフパイプをやってる中で、当面の目標というかビジョンとして、まずはプロ登録してみようと思ったんです。まだ21歳だったから、家族や親に対してもプロの資格を取ることが、自分の意思を表明するためのひとつの手段になると思った。もちろんスポンサーに対しても。そういうモチベーションがあってプロの資格を目指しはしましたね。でも、実際にプロになってずっと活動を続けても、ずっと上位でいれるのかっていうとそれはまた別の話ですよね。じゃあ、自分を表現できることって何かって考えていくと、自由に滑るような方向に戻っていった。もともと好きだったところにシフトしたいなと思ったのがきっかけですよね。」

中川さんは、当時の気持ちを確認するようにとつとつと話した。

「それから、雑誌とかDVDへの出演とかをよくやるようになりました。カメラマンと一緒になって、『あれに出すためにこういう写真撮ろう』って撮りに行ったり。もちろん雑誌に売り込みに行くのはカメラマンの人だったけど、いい写真があれば使ってもらえたし、カメラマンもそれが仕事になった。僕は、当時はフォトインセンティブって契約があって、雑誌に写真が出ればスポンサーから1枚いくらでボーナスが出るという契約があったんです。」

僕もスキーに入れ込んでいるので、よくスキーの雑誌やDVDも見るが、いい作品は僕たちのモチベーションをもぐっと上げてくれる。もちろん同じように滑ったりできるわけではないが、ただかっこいいということを超えて、そこに含まれるストーリーやスタイルに揺さぶられるのだろう。たとえば、大きなジャンプをメイクしているところを捉えた写真は、そのライダーが、事実として、その瞬間にそこからジャンプしていなければ存在しない。たとえそれが商業的な目的のものだったとしても、写真はライダーの「ライフ」のまぎれもないひとコマなのだ。その上で、技術はもちろん、 天候や地形に対する知識、カメラマンとの関係性など、複雑な要素の集大成としてその写真は僕の目の前にあるのだと思う。大げさに聞こえるかもしれないが、僕たちはそんな写真からあぶり出される、画面の中のライダーたちの生き方に憧れを抱く。

  • 厳冬の旭岳にて(写真提供:中川伸也)

もうちょっと健全なことをしたい

そんな中川さんにも少しスノーボードと距離があった時期もあったということを聞いて僕は少し驚いた。

「実は、ガイド業をはじめる前の2年半くらい、札幌で居酒屋やってたんですよね。僕はオーナーじゃないんですけど、マネージャーとして立ち上げからやったんですよ。だからそのときは本当に夜ずっと働いてました。いろんな人来ておもしろかったです。自分がスノーボーダーだって知ってて来る人もいるし、何も知らずに来て、山の話しておもしろがってくれる人もいるし。」

この話は意外だったけど、中川さんがやっている居酒屋なら行ってみたいと思った。

「だけど自分の遊びができなくて。朝の4時とか5時に帰ってきて、サーフィン行きたいなって海に行っても眠すぎて、目がしょぼしょぼして塩水で目が痛い。もうちょっと健全なことをしたいなと思って。そう思ったときに、人に何か今までの経験を話したことで、おもしろがってくれる人がいたっていうのと、自分の今までのバックグラウンドで山にずっといたっていうところで、ガイドをしようと思ったんです。それも最初は、別にバックカントリーのガイドをしようなんて一切思ってなくて。単純にトレッキングとか、子ども相手の何かをしようって思ってた。でも、いざ自分がガイド業をはじめてみて山に行ったり人を案内したりすると、結局は自分がおもしろいと思ってる場所の案内をしたほうが自分も楽しいし、常にモチベーションを保てる。自分が興味ないところのガイドをしても、モチベーションが高まらないから、それはお客さんにも伝わるし。自分が楽しくないのに、お客さんも楽しいわけがないから。」

中川さんの息子が庭を横切って、僕たちがいる方へ一目散に走ってきた。中川さんの座っている椅子に一緒に座ろうと膝の上へ乗り上がろうとする息子を抱きかかえ、にっこり笑いながら中川さんは話した。

「そう思ってやっているうちに、だんだんバックカントリーへ行ったり、山を登りに行ったり、サップやったりっていうのが増えてきたんですね。じゃあ、なんで最初からやらなかったかっていうと、リスクがめちゃくちゃ高いから。バックカントリー、冬山なんて雪崩もあれば怪我もするし。しかもずっと一緒にひっついて歩くわけじゃないから、滑っているうちにどっかに紛れ込んでいっちゃって見失うってことももちろんあるし。最初はそういうリスクが嫌で、やらないって決めたんですよね。だけど、そのうちにリスク回避のプランを僕が持ってさえいればできるって思って。それから、専門的なことを学びに行ったりもして、今、バックカントリーがメインの仕事をしてるって感じですね。」

  • 2015年アラスカにて(写真提供:中川伸也)

僕も、何度かバックカントリーのガイドツアーに参加したことがある。いろんなタイプのガイドがいるとは思うが、なかなかやれる仕事じゃないなと感じた。体力がないと続けられないし、そのエリアのことを熟知しているのはもちろん、お客さんのレベルに合わせてその日のいい雪の斜面へ案内して満足してもらわなくてはならない。天候不良や事故や怪我への対応も必要だ。そのぶん、客としてはそういうリスクをある程度ガイドさんに預けることで自力では入っていけない世界へ連れて行ってもらうことができる。結果、人の命も預かることになってしまうガイドという仕事は、客とのある種の信頼関係がないと成立しない仕事のように思った。僕は、フランスの著名な山岳ガイドであるガストン・レビュッファが、映画の中で言った「お客であっても山に入るときはパートナーだ」という意味のセリフを思い出した。

「滑りのガイドって、僕の中ではお客さんに見せれる滑りをできるっていうことが必要不可欠だと 思っています。滑るのがめちゃめちゃうまいお客さんもいっぱいいるけど、その場合は例えば地形の使い方とか、雪の見方とか、その人に優る力を絶対出さないといけない。それを見せることで、 お客さんもよりレベルアップしたくなるじゃないですか。『あんなふうに滑りたい』とか、『ああいうところを滑りたい』とか。良いところに連れて行って、良い滑りを見せれば、次にそこに行った時に、みんなその滑りをしたくなる。偉そうに言ってますけど、実は、ガイドをやり始めた頃はそんなこと思ってなくて、逆にそれは違うかなって思ってたくらいなんです。でも、そんな話を僕にしてくれた先輩がいたんですね。それから、プロ活動をしてた人間としては、そうじゃなきゃいけないよなって僕も思うようになりましたね。」

どちらも人間の Nature

「言葉の表現があってるかわからないけど、お客さんと育むというか。自分たちも関係性を育んで、お客さんの技術が育っていけば、行けるところが増えるし。『今までここを案内するのはどうかなって思ったけど、もしかしたら行けるから、行ってみる?』って案内してみたり。特に冬の人は、技術的なものだからそうですね。逆に夏とかだと、お客さんが年配の人だから僕が育てられてる感じもある。」

そう言って中川さんは笑った。

「親父とか母さんぐらいの年だったり、もっと上の人たちだから。技術的にとか、体力的には僕らのほうが勝ってるからもちろんそこはサポートするんだけど、ものの考え方とか昔の話とかいろいろ聞くと、自分が育てられてる感じです。多分、育てようって思ってくれてるんだろうなって思う。 毎年来てくれてるし。若いガイドがいるからっておもしろがってくれて、『1年経ったらあいつはどうなったかな?』って見に来てくれてるんでしょうね。」

僕は中川さんがイベントのプレゼンテーションのときにたくさん高山植物の花の写真を見せてくれたのを思い出した。なんていう名前の花かは忘れちゃったけど、ひとつひとつの花の名前を言いながら中川さんはたくさん写真を見せてくれた。もしかすると、そんな花の名前も、夏山にやってくる年配のお客さんから教えてもらったのかなと、ふと思った。

  • チングルマ群落(写真提供:中川伸也)

中川さんの子供が庭の向こうから父親を呼んでいる。息子さんもスキーとスノーボードを少し滑れるようになってきたそうだ。自分はガイド業があってなかなか教える時間が作れないから、知り合いがやっている子供たち向けのスクールで教えてもらっているということだった。

「今年の冬くらいにはひとりで滑れるようになりそう。滑れるようになったら、すぐそこにスキー場があるから、仕事が終わってからナイターで一緒に滑れますね。」

中川さんは話終えると、立ち上がって子供の方へと走っていった。

子供と遊んでいる中川さんを見て、中川さんの話に何度かでてきた「遊ぶこと」「育むこと」という キーワードが僕の中で何度かこだました。きっとそれはどちらも人間の「nature(性質・天性)」 だろう。中川さんのガイドカンパニーが「natures」というのはそのことと関係ないかもしれないけれど、僕の中では勝手にそういうことにしておこうと思った。

SALTの米山さんたちに見送られ出発した。東川で出会った人たちのことを思い出しながら、町の真ん中を貫くまっすぐな道を行くと、クルマはすぐに東川を通り抜けた。あっという間の距離なのに、大きな自然と寄り添った彼らのライフスタイルが詰まっていた。雨雲もすっかり切れて、馴染みのない感じのセミの鳴き声がずっと聞こえていた。僕は、先に出発していた夏目くんたちの後を追って札幌へと向かった。

【#4に続く】

2017年7月1日 東川SALT

中川伸也 「国立公園のある町 東川町でのライフスタイル」

スノーボードとの出会いからガイドカンパニー『natures』を立ち上げるまでの経緯、ガイドとしてのメインフィールドである大雪山国立公園の魅力、そして、国立公園のある町、東川に暮らすことについて。

中川伸也(山岳ガイド /natures 主宰)

1978年生まれ 北海道出身 東川町在住。
小学生の頃からサッカーに明け暮れるも、14歳の時にスノーボードという滑走用具に出会い高校卒業を待たずしてハーフパイプ競技の世界に没頭する。2000年にJSBA(日本スノーボード協会)の公認プロ資格を取得する。その後、競技から離れ同資格を抹消。バックカントリーの世界に魅了され、活動の中心を映像や写真などの撮影へとシフトしていく。スノーボードを通して、山や自然の楽しさ・魅力を感じ、安全で楽しい山旅の提供をしたいと思いガイド業の道へと進む。 NPO法人ねおすにてガイド修行、旭岳自然保護監視員などを経て、2011年に『natures』を立ち上げる。
http://outdoorlife-natures.com/

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  • 豊嶋秀樹

    豊嶋秀樹

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    作品制作、空間構成、キュレーション、イベント企画などジャンル横断的な表現活動を行いつつ、現在はgm projectsのメンバーとして活動中。 山と道とは共同プロジェクトである『ハイクローグ』を制作し、九州の仲間と活動する『ハッピーハイカーズ』の発起人でもある。 ハイクのほか、テレマークスキーやクライミングにも夢中になっている。 ベジタリアンゆえ南インド料理にハマり、ミールス皿になるバナナの葉の栽培を趣味にしている。 妻と二人で福岡在住(あまりいませんが)。 『HIKE / LIFE / COMMUNITY』プロジェクトリーダー。

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